【三毛別羆事件】アンビリバボーな日本史上最悪の熊害


およそ100年前の日本で、こんな恐ろしい事件がありました。

三毛別ヒグマ事件
現在の北海道、さんけべつ(三毛別)というところで起きたたった一頭のヒグマに8人の開拓民が殺されるという日本史上最悪の獣害事件。俗にさんけべつヒグマ事件と呼ばれる。


それまで日本人はヒグマという生き物の習性についてほとんど知りませんでした。この事件で痛感することになったのです。

解説の後に番組アンビリーバボー「三毛別ヒグマ事件」の動画を添付していますのでどうぞ最後までお読みください。

※三毛別事件は史実です。

三毛別ヒグマ事件

まずはヒグマという生物について。寒い地域に住んでいるので毛皮は厚くふさふさ。テディベアといわれるのはこの可愛い見た目ゆえ。

雑食性で、木の実やハチミツなどの植物、魚や虫、シカなどの哺乳類も食べます。クマといえば川で鮭をとっているイメージですが、その通りで泳ぎが得意。

そしてごく稀にですが、人を食べることがあります。

事件の概要


さんけべつ、とは事件の舞台となった北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)のこと。六線沢(ろくせんさわ)という場所に開拓民の村があった。

事件はその村ではじまった。

大正4年12月9日ー12月14日にかけて。
エゾヒグマが数度にわたり民家を襲撃。開拓民7名が死亡(襲われた時のケガがもとで後日さらに1人が亡くなり事件の被害者は計8人になった)、3名が重傷。

地元警察が出動したが手に負えず、軍隊に救助を要請。結果的に優秀なマタギによりヒグマが射殺されて事件は終結。

倒されたヒグマの体重は340kg、体長は2.7m。
立ち上がると3mを超える巨大な体格だった。

最初の被害


12月9日。
沢の上流に居を構える太田家。

最初にヒグマの標的になったのはこの家の住人たちだった。

太田家当主の内縁の妻・マユ。
そして太田家に養子として迎えられる予定だった蓮見幹雄(当時6歳)の2人がヒグマに惨殺された。

時刻は朝から昼にかけて。
男達は仕事に出ており、家にはマユとミキオだけだった。
ヒグマは窓を破って侵入したものと思われる。

2人の遺体を見つけたのはこの家の家人で、彼は囲炉裏の前に座っていたミキオが返事をしないので訝しみ、顔をのぞきこんだところ頭の一部がなく血まみれの状態であった。

連れ去られた女性

彼は腰を抜かしながらもマユを探した。
名前を呼ぶが、返事はない。

床には血。
何かを引きずったような跡が続いている。

彼は身の危険を感じ、家を出ると急いで当主の元へ向かった。

川で作業していた当主は仲間とともに自宅に戻った。
マユの姿はやはり見つからず、かわりに窓枠に彼女のものと思われる頭髪が何本もからみついていた。

窓の外には足跡と血痕。
マユはヒグマにより連れ去られたものと思われた。

埋められた遺体

12月10日午前9時頃。
連れ去られたマユを探すために村の男たちが集まった。その数、数十人。彼らは武器をもち、裏山に向かった。
そこで巨大なヒグマと遭遇する。

ひとりが発砲するとクマは驚いて逃げていった。

男たちが付近を捜索すると、トドマツの根元に女性のものと思われる足と頭部が埋められていた。

遺体を収容し、無念の思いで村へと戻った。

この行為が後に最悪の事態を招くことになるとは、人々は思ってもいなかった。

通夜を襲撃したヒグマ


その夜。
太田家では2人の通夜が行われていた。

この家に預けられていた6歳の男の子ミキオ。養子になることが決まっていた。母親となるはずだったマユともども丁重にとむらわれた。

皆が悲痛にくれる中。
突如、ごう音が家の壁を破って押しいってきた。


壁を破壊して現れたのは体長2.7mの巨獣だった。

実はヒグマが人里に現れたのはこれで三度目。
太田家の義母子が襲われる前にも、同家の軒先につるされたトウキビが食い荒らされており、現場に残された大きな足跡などでその存在が確認されていたのだ。

当主の太田三郎は腕利きと名高い猟師をふたり雇い、トウキビ泥棒をしとめるために数日屋内に張りこんだが、結局クマを仕留めることはできなかった。

2度目の襲撃でマユとミキオが命を落とし…。
そして3度目。

通夜の最中にいきなり押し入ってきたヒグマに、人々は心底おどろいた。

幸いにも朝とは違い、通夜のため人が集まっていた。
熊を警戒して銃器が持ち込まれていた為、銃声一発でヒグマは逃げていった。被害は出なかったのだ。

だが、このあと事件は悲惨の一途を辿ることになる。

明景家の惨劇


通夜で追い払われたヒグマはそのまま沢を下った。
たどり着いた先には灯りのともる家が…。

明景家の惨劇

男たちがヒグマ対策に奔走していて家を空けるため、村の女子供たちはこの家に避難していた。明景家(めいけいけ)。

女子供ばかり。中には妊婦もおり、みな不安そうな顔をつきあわせていた。彼女たちを守るために太田家の家人の男性も詰めていた。

通夜から逃げてきたヒグマがたどりついたのはこの明景家。
対策が完全に裏目に出る形となった。

鼻のよいヒグマは人間の女の匂いをかぎつけたのだ。
最初に女を食べると女しか食べない、男を食べると男しか食べないという。冬眠しそこねて腹をへらした獣にとってそこはまさに絶好の狩り場だった。

轟音とともに突然おしいってきた巨獣に女たちは悲鳴を上げた。こどもを引き寄せ、逃げだす。ヒグマがランプを壊し灯が消えた。完全な闇に人々は襲われる。

地獄絵図


暗闇の中でいくつも悲鳴があがり、ヒグマが人間を食べる音が闇にはっきりと響く。

阿鼻叫喚。

女2人(内ひとりは妊婦)、子供2人が殺された。
太田家の家人もヒグマに重傷を負わされ、この時は一命をとりとめたが、後にケガがもとで亡くなっている。

生き残った者の証言では妊婦の壮絶な最後の言葉を残している。

「胎(はら)破らんといて、頭から食ってくれ」

お腹の中の子供だけでも助かってほしいという母親の悲痛な願いだった。



男たちは隣町への避難を決め、女たちを迎えにこの明景家にやってきた。
しかしーヒグマの襲撃を受けた直後であり、家の中に入るとそこは地獄絵図であった。
とても直視できるものではなく男たちは心胆から震えあがった。

物陰に隠れて無事だった子供数人をつれて全員、避難した。


警察が動き出す


一連の襲撃事件を受けて警察隊がようやく到着。
北海道庁警察部より遣わされた管轄の羽幌分署の署長が現場の指揮を執ることになり、本部が三毛別地区の大川家に置かれた。

しかし、せっかく警察がきてもどうにもならないことは明白であり村人たちは絶望感にうちひがれていた。あれは人間がどうにかなるものではない。

なんせ通常の雄のエゾヒグマが2m前後なのに対し、この問題のヒグマは2.7m、体重340㎏と超大型であった。

クマ撃ちの名人

警察だけに任せていられないと村民たちはある男を呼んだ。
山本兵吉。
クマ撃ちの名人である。

他の猟師とは違い、とびきり腕がいい。代わりに酒癖が悪く言動も粗暴で何度も警察の世話になっているワルでもあった。
このため警察署長は難色を示したが、村人の案内で現場の太田家・明景家を見ると顔色が変わり、兵吉の参加を許可した。

ふだんから事件の捜査をする警察でさえ恐怖を感じるほどに現場は凄惨を極める状態であった。

警察署長が軍に出動を依頼したことからもそれは伝わってくる。

人間の反撃


12月13日、陸軍の歩兵第28連隊の将兵が出発したものの三毛別に到着するまでは日数がかかる。
待っていては三毛別にいる人間全てがヒグマのエサになってしまうと村民が訴え、署長もこれはよく理解、現状のメンバーでヒグマに対抗することを決定。

六線沢から三毛別につづく氷橋の近くに警察隊と村民による有志を展開。クマは必ずここを通るとみられていた。


そして午後8時頃、ヒグマが現れた。
銃器が火をふく。ヒグマは驚き、森の中に消えていった。この時点では仕留めることは出来なかった。

終焉


翌14日の朝になってみると血が点々と森の方に続いていた。前夜の人間の反撃は確かにヒグマをとらえていたのだ。
一行は雪面に残る血の跡を追って山に入った。

警察隊とは別行動で山本兵吉も山を登っていた。

犬の7倍もあるという嗅覚からヒグマは人間がくるのを知り、待ち構えている。そこで兵吉は敵の裏をかくために風上をさけて急襲をかけようという作戦であった。


ヒグマは雪上にいた。

漁師は200mの距離をとり、木の陰に身をひそめた。
そして猟銃をかまえー。

弾はヒグマの心臓に命中した。

しかしヒグマはすぐに倒れることはなく兵吉めがけて突進してきた。
最高時速50キロともいわれるヒグマである。一瞬で距離をつめられるだろう。兵吉は落ち着きはらってもう一度発砲した。ヒグマの眉間を的確に撃ちぬいた。

この2発の銃声は山をきりさき、警察隊の耳にも届いた。
事件の収束をつげる福音であった。


現在の苫前町

三毛別事件とは

三毛別ヒグマ事件は過去に番組「アンビリーバボー」でもとりあげられています。

▼YouTubeで

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