今回はヒグマによる被害の話。日本史上2番目に被害を出した石狩の獣害事件をとりあげました。
石狩沼田幌新事件
大正12年8月21日の深夜に北海道雨竜郡沼田町の幌新地区で発生した獣害事件。野性のヒグマが開拓民の一家や駆除に出向いた猟師を襲い、8名の死傷者を出した。
残酷な描写があります。閲覧注意!
石狩沼田幌新事件
(いしかりぬまたほろしんじけん)
事件の内容を見る前に軽く当時の状況について触れておきます。
時は大正。
蝦夷地(えぞち)におりたった先人たちはヒグマという生き物に対する知識がほとんどなく、未開の土地を切り開いていました。
元々、そこに住んでいたヒグマと生活圏が重なってしまったことで多くの事故が起こってしまいます。石狩沼田の事件もそのひとつ。
それでは事件の詳細です。覚悟してご覧下さいませ。人の味を覚えたヒグマの凶行は残酷ですので。
最初の犠牲者たち
8月21日。
沼田町内では祭りが開催されていた。
ふだんは娯楽も少ない開拓地ゆえ、上演される御芝居を目当てに近隣の村落から人々が集まり盛況だったという。
午後11時半ごろにお開きとなり、ホロシン地区から祭りに参加していた一団も家路についた。
夜の山道を急ぎ、一行がホロシンの沢に差しかかった頃。
小用のため、50mほど遅れて歩いていた19歳の林謙三郎が突然現れた巨大なヒグマに背後から襲われた。
まだ若い彼は死にもの狂いで暴れ、帯や着物を裂かれながらも何とか逃亡に成功する。
そして前方の一団に急を知らせた。
「クマだ!」
しかしその時である。
一団の先頭から突如、断末魔が上がった。
先回りしたヒグマが、歩いていた村田幸次郎(15)を撲殺したのだ。
側にいた幸次郎の兄・与四郎(18)にも重傷を負わせると、彼を生きたまま引きずっていき、土中に埋めた。
そして、先に殺した弟の遺体をむしゃむしゃと食い始めたのだ。
闇に消えた念仏
パニックに陥った一団は、そこから300mほど離れた農家・持地乙松宅に逃げ込み、押入れの中に身を隠した。
同時に獣は火を怖がるだろうと囲炉裏に木の皮を大量にくべた。
やがて30分ほど経過したころ、先程のヒグマが人間の内臓を食いつつ農家宅に現れた。
窓から中をうかがい始める。
家人は座布団や笊(ソウ。竹製のザルのこと)などを投げつけて追い払おうとした。
ヒグマは玄関に回りこむ。
村田兄弟の父親・三太郎(54)は入れるまいとして必死になって戸を押さえていたが、ヒグマは戸を彼ごと押し倒し、中に侵入してきた。
三太郎はとっさにスコップを構えたものの見事に叩き伏せられ、重傷を負った。
ヒグマは囲炉裏で盛んに燃えあがる火を恐れることなく踏み消し、部屋の隅で恐怖に震えていた三太郎の妻ウメ(56)をくわえ上げた。
そのまま外に出ていこうとする。
「おっかァを離せ!」
三太郎は半狂乱になって化け物をスコップで殴打したが、意に介すこともなく山の方へとウメを引きずっていく。
「助けてェ」
ウメの助けを求める声が何度も響いた後。
念仏が続けて聞こえてきたが、それも次第に遠ざかり、夜風にかき消されてしまったー。