福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件。日本の大学生が命を落とした惨劇。


今から54年前の北海道で起きた「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」。この事件は大学生5人が山中でヒグマに追いかけまわされるという異様な事件でした。いったい何があったのかを時系列でみていきます。

福大ワンフォル部事件(概要)
1970年、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町静内高見)の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生。若いメスのヒグマが登山中の福岡大学ワンゲル同好会員を襲撃し、学生3名が死亡した。

事件当時はワンダーフォーゲル同好会でしたが、本記事ではワンダーフォーゲル部と詳記させて頂きます。また表現には配慮していますが、残酷な事件ですので苦手な方は購読をお控えくださるようお願いいたします。

北の大地におりたった福岡の若者たち

事件の話をする前にまずヒグマについて軽く触れておきます。


大きさは約2メートル。立ち上がると3メートル超。体重は120キロから250キロ。過去には500キロを超えた個体も存在し、日本では最大の陸生生物です。

絵本などでは可愛いイメージのクマですが、実際は非常にパワフルな動物です。

  • 雑食性
  • 時速60キロで走る
  • 泳ぎが得意
  • 木登りも得意
  • 逃げる者を追いかける
  • 犬の7倍の嗅覚

最初の遭遇

1970年(昭和45年)7月。福岡大学ワンゲル同好会所属のA、B、C、D、E。
いずれも18歳〜22歳の若い学生。

5人は朝9時に博多を出発し、新得駅へ到着。
14時半に入山した。

25日、中間地点である山の標高1,979m地点。
テントを張ったところにヒグマが現れた。

ヒグマがいない九州から来た彼らは最初、ものめずらしさから様子を見ていた。

だが、ヒグマが彼らの荷物をあさりだしたため、音を立てて追い払い荷物を取り返した。
この行動がまずかった。

その夜、再びヒグマが現れた。
テントに穴を開けて立ち去る。

身の危険を感じた学生たちは交代で見張りを立てたが、その夜は現れなかった。


翌26日、早朝。
ふたたびヒグマが現れ、力任せにテントを倒した。

リーダーであるAの指示で、BとEが救助を呼ぶため下山を始めた。彼らは途中で北海学園大学や鳥取大学のグループに会ったので救助要請の伝言をし、他の3人を助けに山中へ戻った。

3度目の襲来

BとEが合流し、再び5人がそろう。

16時ごろ。
皆で修繕したテントにて。寝支度を始めていた彼らの元に三度ヒグマが現れた。

なんとかその場を逃げ出したものの、5人は鳥取大学のテントへ避難しようと決めて出発した。

山を歩き続けて目的地に着いた。
だが鳥取大や北海学園大のグループはヒグマ出没の一報を受けてすでに避難した後。テントは無人となっていた。

仕方なく彼らは夜道を歩き続けた。この時、ヒグマが5人を追いかけてすぐ側まで来ていた。

当然だが、山には街灯などない。
重たすぎる闇。

突如、獣の獰猛な唸り声と共に大きな影が現れた。
青年たちの恐怖はいかばかりだっただろうか。

ヒグマはまずEを襲って絶命させた。

彼らは一目散に逃げたが、途中でCがはぐれてしまった。

その夜、ABDの三人はガレ場*1で夜を過ごした。

第二の犠牲者

27日早朝。
深い霧に覆われ、視界不良。

それでも三人は可能な限り急いで山を下りようとした。
そんな彼らの前に、ヒグマがまた現れた。

Aが標的となり、襲われて死亡した。


BとDは逃げ延び、下山。
五の沢砂防ダムの工事現場に駆けこんで車を借り、18時に中札内駐在所へ到着した。2人は助かったのだ。


一方仲間とはぐれたCは山中をどう歩いたのか鳥取大学グループが残したテントに逃げこんでいた。
彼はシェラフに潜りこんだ。

悪夢から逃れようとしたのかもしれない。
目を閉じたら全ては夢で、目が覚めたら仲間が周りにいる。
自分は悪夢を見ているのだとー

翌朝、彼はヒグマに襲われて死亡した。
死ぬ間際まで、その時の様子や心境を綴っていたようだ。メモが見つかっている。
その遺体は目も当てられないほど悲惨な状態だったという。

救助隊により遺体が発見される


28日、帯広警察署、十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。

カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部は入山禁止になり救助隊が若者を救うべく出発。
Cがすでに絶命していることなど知らずにー。

翌29日、早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で、AとEの遺体を発見した。


同日16時半ごろ、ヒグマはハンター10人により射殺された。
3歳のメスだった。さほど大きくはなかった。

30日にはCの遺体も発見された。雨天で足元が悪いことから遺体を下におろすことができず、31日17時に3人の遺体は火葬にされた。

3人を殺害したヒグマは解剖されたが、体内から人間は出てこなかった。食べるために襲ったわけではないのだ。では何のために襲ったのか?

福大ワンゲル事件なぜ起きた?

ここからは解説と対策になります。福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件。なぜ起きたのでしょうか。

原因はいくつか考えられます。
そのひとつがヒグマから荷物を取り返してしまったこと。

学生たちは荷物を漁っていたヒグマを追い払いました。この行動がクマに狙われる原因になった。

ヒグマは執念深い生き物です。自分の物を奪われるとそれを取り返そうとする習性がある。

もちろん荷物は学生たちの物ですが、ヒグマが手中にした時点で、彼の物になった。ヒグマは自分の物をとられたので何度もテントを襲った。取り返そうとしたのです。

人間も何度もとりかえそうとした。これでヒグマは彼らを完全に敵とみなした。

ヒグマの恐ろしさ

その後、身の危険を感じて山をおりようとした5人をヒグマは追いかけます。
真っ暗な山の中。懐中電灯もなしに熊は正確に人間達を追跡しています。
これはヒグマが鼻が効くため。

犬の七倍もの嗅覚があるといわれています。

しかも走るのも速い。最高時速なんと50キロ~60キロ。
簡単に追いつかれてしまったわけです。

ヒグマは犬と同じで、逃げる者を追いかける習性があります。
だからヒグマに遭遇した時は背中を向けない。急に走りださないのが鉄則。

とはいえ今回のケースではヒグマがすでに敵と認識しているので上記のことを守っていても生き延びるのは難しかったでしょう。

いちばんいいのは遭遇しないこと、クマに近づかないこと、見かけたら離れることです。

最初にクマを見かけた時、すぐに山をおりていれば違う結果になったかもしれません。現に先に山をおりた鳥取大学は助かっています。

九州からきた彼らはヒグマに対する知識が乏しかった。そのためにヒグマから荷物を取り返そうとしたし、ヒグマが立ち去った後も山に留まり続けた。

しかしそれは、仕方のないことです。

ある記事の最後には「責められるべきは彼らの情報不足ではなく、危険を示す詳細な情報が世に不足していたことだ」と記されていました。

インターネットがなかった当時は、現地の情報を集めるのも一苦労だったでしょう。彼らの行動を責めるのではなく、この事故を後世に生かして二度とくりかえさないこと。

情報にあふれかえった現代、リアルタイムで現地の状況を把握することも可能です。これからヒグマの住む山に入る予定のある方は、入念な下調べをしてから挑みましょう。

八の沢カールには追悼のプレートがかけられ、そのプレートには追悼の句が記されている。

高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢


お読みくださりありがとうございました。クマの動物研究では他にも熊害事件を扱っております。ご回覧ください。
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*1:ガレ場=岩壁や沢が崩壊して大小さまざまな岩や石が散乱している斜面。