動物×事件の解説をするクマの動物研究。今日は村シリーズから「福田村事件」。人間という動物が引き起こした大きな間違い。何があったのかを紐解いていきます。
また怖い村シリーズか?
いいえ。都市伝説ではなく、これは実際に起きた出来事。
福田村事件
1923年9月6日、関東大震災後の混乱の最中、デマや社会不安がうずめく関東圏において香川県の薬売り15人が千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)三ツ堀で地元の自警団に暴行されて10人が殺害された。
残酷な描写があります。表現には配慮していますが、閲覧にはご注意ください。
福田村事件
1923年、3月に香川を出発した売薬行商団15人は関西から各地を回り、群馬を経て、8月に千葉に入った。
彼らは正露丸や頭痛薬、風邪薬などを売っていた。
9月1日に起きた関東大震災の直後、4日に戒厳令が敷かれた。官民一体となって朝鮮人をとりしまるためにあちこちで自警団が組織、強化された。これが関東圏で多大な被害をうみだすことになる。
戒厳令ってなんだ?
戒厳令とは。
戦争やデモ、自然災害など、兵力をもって全国または一部地域を警備する場合に法律の効力の一部を停止し、行政司法を軍隊の下に置くというもの。
柏木史書は過去をこう語る。
自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団を通過しようとしていた。自警団が問いただすも仔細はハッキリとせず、警察署に連絡する。
生き残った被害者の話では9月6日昼頃、三ツ堀の利根川沿いで休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人が取り囲んだ。
言葉がおかしい
朝鮮人ではないか
疑惑が不穏な空気をうみだす。
福田村の村長らは「日本人ではないか?」と言うも群衆はきかず、なかなか収まらないので駐在の巡査が本署に問い合わせに走った。この直後に惨劇が起きた。
香川県から来た行商団。言葉が訛っていたからか疑いをかけられた。
白昼の惨劇
生き残った被害者の話では、棒やとび口で頭を殴打されたという。銃声が2発きこえ、万歳の声があがった。
駐在の巡査が本署の部長をともなって現場に戻ってきた時にはすでに15人中、子どもを含めた9人が殺されており、遺体は川に流された後だった。
鉄の針金や太縄で縛られた行商団員たちが、今にも川に投げ込まれそうになっており、警察はあわてて止めに入った。
「殺すことはならん」「わしが保証するから任せてくれ」と説得したことでかろうじて6人の行商人が生き残った。
犠牲者は妊婦とお腹の胎児、2歳、4歳、6歳の幼児を含む10人。
加害者「おれはヒーロー」
この事件で中心となった8人の自警団員が逮捕された。
福田村の自警団員4人、隣接する田中村(現・柏木市)の自警団員4人。
騒擾(そうじょう)殺人罪に問われた。
言い逃れできないよね。反省しているのかな?
被告人らは以下のように主張。
郷土を朝鮮人から守ったオレは憂国の志士だ、国が自警団を作れと命令し、その結果あやまって殺した
あ⁉
検事「量刑を軽く」
当時の予審検事は裁判の前から量刑を考慮すると新聞に対して話していたという。
あんだとう⁉
その言葉通り、ひとりの自警団員には懲役2年執行猶予3年が、あとの7人には懲役3年から10年の実刑判決がそれぞれ言い渡された。
10人殺してこの量刑ですから、検事も裁判所も国に対して忖度したのはあきらか。戒厳令を出したのは国ですから、当時の戦況や社会情勢を慮った結果といえるでしょう。
殺人罪で執行猶予なんて現代じゃ考えられないな…
しかもこのあと昭和天皇が即位し、恩赦で全員が放免となっております。
殺戮された「朝鮮人」
実はこの「朝鮮人の疑いをかけられて殺された」のは福田村事件の被害者たちだけではありません。亀戸事件など他にも各所で被害が出ています。
関東大震災にともない発出された戒厳令の影響で罪のない朝鮮人や、朝鮮人と間違われた中国人や日本人が殺害されました。それらの事件をすべてまとめて「関東大震災朝鮮虐殺事件」と呼びます。
震災の混乱の最中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが新聞や口頭によって世間に伝わり、数百人~最大6000人の命が日本人の手で奪われたという。
なんで朝鮮人だっていうだけで迫害されるのさ?
時代が「反朝鮮」だった
事件の4年前、1919年に三・一運動など朝鮮の独立を求める運動が盛り上がったことで朝鮮人は大日本帝国のいう事をきかない「ふてえ連中」と国が扇動したことで官民による差別・弾圧が強まっていた。
日本という大きな船が朝鮮を敵とみなしていたため、加害者らを強く罰することもなかったのだ。
というわけで「福田村事件」の解説でした。当サイトでは様々な事件を扱っております。下記のリンクよりご回覧ください。