スヴェンスクフーセットの悲劇

1872年〜1873年の冬に起きた集団死亡事故。
スヴァールバル諸島(北極)のスピッツベルゲン島の一軒家で17人の男性が亡くなった。

最近まで死因は壊血病だと考えられてきたが、2008年に行われた調査で鉛中毒である事が分かった。

スヴェンスクフーセット

スウェーデン語で「スウェーデン人の家」の意。

この小屋はスウェーデン人によって建てられた。諸島で最大の町ロングイェールビーンからフィヨルドを挟んだ岬にある。

スヴェンスクフーセットの悲劇

アザラシ漁師のノルウェー人グループがこの島に足止めされたのは1872年の秋。

長期の滞在には手持ちの食糧や物資が足りないため、同地域を探索していたフィンランド人の探検家アドルフ・エルク・ノルデンショルドに相談をもちかけた。

しかし彼にもグループ全員に満足に行き渡るほどの余剰分はなかった。
そこで代わりに情報を渡す。

「スヴェンスクフーセットになら備蓄がある」
グループは話し合い、誰かがスヴェンスクフーセットに行き、燃料や物資をとってくることに決定。

さっそく17人の独身男性が1872年10月14日、手漕ぎのボートで出発。
350km先の目的地に向いー。

そして誰も戻らなかった。



翌年、氷が薄くなった夏。

帰らない人々の探索のため、救助チームがスヴェンスクフーセットに向かった。

救助チームは小屋の中で複数の遺体を発見。
その中には布で包まれたものや、棺桶に入れられているものもあり、徐々に人が減っていった様子がみてとれた。

発見された遺体は15人分(残り2体は後の調査で発見されている)。スヴェンスクフーセットに物資をとりにむかった男性たちであることが確認された。

そのひとり、カール・アルベルトセンは小屋に滞在中に日記をつけていた。それによるとー。

最初に死人が出たのは11月でクリスマスまでに全員が体調を崩したと書いてあった。日記の最期の記録は4月19日。ちなみにアルベルトセンは最後から2番目に亡くなったとみられた。

彼らに外傷などはなく、また燃料や食料が残っていたために餓死や凍死したとは考えられなかった。

当時、この事件を調査した人々は『ビタミン欠乏症による壊血病ではないか』と考えた。こういった果実や野菜が手に入りにくい極地ではビタミン不足による壊血病は多かったのだ。

しかし日記を読むかぎりでは一同は壊血病の危険性を理解し、かつ予防法も認識していたという。

再調査で判明した真の死因

真相がわからぬまま時は流れ、2008年7月。
ある医学者と歴史者が死因の特定を目的として、犠牲者の墓を、ノルウェー遺産局の許可をえて掘り起こした。

彼らは『一同は壊血病によって亡くなったのではなく鉛中毒で死んだのではないか?』という疑念を抱いていた。

墓に納められていた遺体(極地であるため遺体が骨にならず凍ったまま保存されていた)を調べた。

その結果、遺体の鉛の含有率は高かった。
この調査によって犠牲者たちの怠慢ではなかったことが証明された。死者たちの名誉は135年の後に学術調査によって回復された。


スヴァールバルで起きた事件▼
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スヴァールバルに棲む生物▼
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