千葉神野寺の虎脱走事件。猛獣との恐怖の夏休み。

今回は約40年前の日本で起きたトラの脱走事件です。お寺で飼育されていたベンガルトラ3頭が市街に解き放たれた驚きの実話をとりあげます。結論からいってトラは射殺されたのですが、そこにいたるまでに人間のごうまんぶりと醜さが露呈した事件でした。

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タイガー

お寺で虎を飼う⁉

ときくと私たちは動物園をイメージします。

今の日本では他にお目にかかれる場所はほとんどありません。海外のように自宅で飼育するのは法律上不可能です。

でも、知っていましたか?
昔は日本でも個人で虎が飼えたんです。

個人で虎を飼えた時代


個人で虎を飼う。
大丈夫なのでしょうか?

動物園で飼われているのですから、知識とお金と人材があれば飼育は可能でしょう。堅固な檻と経験豊かな飼育員さんを雇い、管理をしっかりと行えば。

この事件で虎を飼っていたのはお寺の住職さんでした。

神野寺虎脱走事件

(じんやじとらだっそうじけん)

1979年8月2日

千葉県君津市にある鹿野山神野寺から飼育されていたベンガルトラが脱走した。虎は1ヶ月近くも脱走を続け、最期は射殺された。

時系列で詳しくみていきましょう。

神野寺の十二支動物園


当時、神野寺の境内には動物園が設置され、客を集めるために多数の動物を見せ物にしていたといいます。特に干支にまつわる動物を集めていたことから別名「十二支園」とも呼ばれた。
確かに、虎も十二支の一つですね。

合計12頭が飼育されており、その管理は住職が行なっていた。


8月2日の夜

寺の職員が虎が入っている檻の扉が開いていることに気づいた。
12頭のうち3頭が姿を消していた。
逃げだしたのです。

虎が脱走した夜

翌3日未明

千葉県警に通報が入る。

脱走した虎たちはいずれも1歳のベンガルトラ。動物園でよく見られる種類ですね。


1歳で体重は90〜100 kg程度。体長はおよ150 cm。
性格は極めて獰猛。

3頭の虎のうち1頭はすぐに自分で戻ってきたため、ことなきを得ましたが、ほかの2頭は脱走を続けました。
逃げたのはオスの虎とメスの虎が1頭ずつ。

警察と自治体が厳戒態勢

事件発生を受けて警察は現地対策本部を設置。
警察官をはじめ、機動隊や猟友会員、消防隊員まで合計500人を動員。虎の行方を追わせた。

寺のある君津市を中心に虎の脱走を告げる有線放送が流され、即座に市民に対して外出禁止令が発令されたほか、交通規制も行われた。

事件当時、寺の周辺には民家が80世帯ほど存在していました。
トラが民家に入り一般市民が犠牲になる可能性があったので、効き目の薄い麻酔銃ではなく猟銃がもちだされた。

射殺やむを得なしという判断がくだされたのです。


1頭目の射殺


事件発生から2日後の8月4日、それまで山合いにいると思われていた虎が、突然市街地に姿を現した。

捜索人員が800人程にまで増やされ、そして同日、神野寺付近の山中を捜索していた捜索隊達が、辺りをうろつく1頭の虎を発見。寺から逃げたメスの虎だった。

虎が捜索隊に接近したため隊員は即座に発砲。4回の攻撃で虎は死亡した。

残るはオスの虎1頭。
捜索隊は気をひきしめてふたたび捜索に向かいますが、ここである問題が起こります。トラを手にかけた捜索隊に対して、世間は強く非難したのです。

虎射殺で世間からバッシング


「あんな可愛い存在を殺すなんてどういう神経してんの! 虎殺し!」
ということでしょう。

射殺の報が伝わるやいなや、動物愛護団体をはじめ、ネコ派の方々は捜索隊を激しくバッシングした。

迷惑住職VS捜索隊

しかし虎を逃してしまったお寺の住職さん、ペットの射殺に対してクレームをつけたそうな。
当然、捜索隊は激怒しました。

射殺したその日から捜索隊員の自宅には電話がかかってくるようになった。どこから漏れたのか電話番号が流出。
ひっきりなしに非難の電話がかかってきた。

恐ろしい時代です。今なら大問題。
そんな大迷惑をこうむりながらも朝から晩まで黙々と捜索していた方々、無神経な住職の抗議についにキレてしまいました。
一度、捜索の手を止めざるを得なくなったのです。

ついに最初の犠牲が…


人間たちがもめている間に3週間以上が経過しました。
もう1頭の行方は判らぬまま。
市民たちは外に出られず、子供たちも夏休みを自宅にこもってすごしていました。

そして事件発生からおよそ1ヶ月後の8月28日。
ついに事態が動きだします。 


『市街で被害が出た』との一報がー。

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