第二次世界大戦中、旧日本軍の部隊が無数のワニに食べられて多数の死傷者を出したという話をご存じでしょうか?
この事件はギネスブックにも掲載されており、世界中の史家や爬虫類学者の間では有名で、その真偽については疑問がささやかれていましたが、近年の研究でようやく仔細がわかってきました。
ワニに食べられたってどういうこと?
それをこれから解説していきます。動物がもたらした最悪の被害。戦時中に遠く離れた異国の島で起きた事件とは。
引用:ウイキペディア
英国に島をぶんどられた
ラムリーの戦い
期間:1945年1月21日から約1ヶ月。
第二次世界大戦中。
日本が牛耳っていたビルマのラムリー島という所に英国軍が上陸し、日本軍と戦った。
約1ヶ月におよぶ激戦の末、日本軍は敗れて撤退。英国軍が島を占領した。
ビルマってどこ?
今のミャンマーだね。
現在のラムリー島はベンガル湾の北東部にあるミャンマー領の島。
第二次世界大戦中、日本軍が頑張って占領したが、敗戦色濃い末期に英国に取り返された。
当時、島の守備隊1000人に対して、英国軍は7倍の7000人。
数で圧倒された日本軍は島の端まで追い詰められた。
ここで死戦しようという声もあったが、軍の上層部はそれを許さなかった。
本陣まで生きて戻れと命令がくだった。
ラムリー島から河をへだてた本土には日本軍の陣地があり、そこまで泳ぐことができれば助かるという状況。ちなみに背後には英国軍。
河を渡ればいいんだね!
渡河といっても深い所で水深300m。沖と同じです。
しかも、この河には野生のイリエワニが棲んでいた。
イリエワニ
平均の体長4m〜6m、体重450kg。
噛む力は最大級の2トン。ワニはエサを細かく噛み砕くことができないので噛みついたまま体を回転させてねじきる。この強力な必殺技は「デスロール」と呼ばれる。
ダメだ。引きかえそう!
後ろには英国軍。
もう降伏しようよ!
降伏は死をも上回る恥という日本軍は前進を決めます。
英国軍に負け、ラムリー島から撤退することを決めた日本軍。
彼らの目の前にはマングローブが茂る湿地帯が広がっていた。広い水路の中央は300mの水深。
ここにワニがいることは日本軍も承知していたが、生きのびるためには渡るしかないと意を決して河に入った。
かくして日本軍1000人の決死の渡河が始まる。
途中、溺れかけた兵士が大声をあげたため、英国軍の砲艇に発見されて照射射撃を受けてしまう。
この攻撃で日本軍の指揮官が死亡。
兵士たちはバラバラに逃げ出す。
対岸に渡りきった者、草木にまぎれて島の奥に逃げのびた者、溺れた者、ワニに食べられた者、銃弾に倒れた者…。
結果、本土に生還できたのは全隊の半数にあたる約500人のみであった。
どのくらいの人がワニに食べられたんだろう。
正確な数は分からないが、犠牲になったというよりは死肉にワニが集まったようだ。
渡河中に1000人の日本兵が野生のイリエワニに襲われ、死んだとしてギネスブックに登載されています。
「動物がもたらした最悪の被害」
海外では有名な話です。
が、実際に数えた人はいません。
日本軍の記録にもそのような記述はありません。
これは戦いの翌日、河に浮かぶ死体にワニが群がった光景を見た英国軍や現地民がそう思いこんだのでは? と言われています。
後に「ただし犠牲者数には疑問が残る」とギネスにも追記されています。
というわけで今回はギネス登載の「動物がもたらした最悪の災害」について紹介しました。戦時中、川に投げ込まれた市民や亡くなった兵士の遺体をワニが食料にするという話は各地で確認されています。
ブルンジのギュスターヴ。世界三大獣害事件の犯人も流れてきた兵士を喰らって巨大化したのではないかと言われています。興味がればどうぞ。
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