札幌丘珠事件
事件が起きたのは1878年(明治11年)1月11日~1月18日にかけて。
北海道石狩国札幌群札幌村大字丘珠村というところ(現・札幌市東区丘珠町)で起きた熊による獣害事件。死者3名、重傷者2名を出す大惨事となった。
冬眠を妨げられたヒグマ
1878年、1月11日。爾志(にし)通在住の猟師・蛭子(ひるこ)勝太郎が郊外の円山の山中で冬眠中のヒグマを発見。
当時の北海道は開拓のただなか。町と呼ばれるところは限られており、すこし郊外に行くと大森林が広がっているような状態だった。
本州から離れているため手に入る食べ物も限られている中で、熊肉は貴重で栄養価も高い。さらにこの熊肉がいちばんうまいのは冬眠中の若い個体といわれる。冬眠前にたっぷり食いこみ、脂肪がのっているからで、毛皮なども高値がつくので蛭子勝太郎は喜々と銃を構えた。
結果として狩りは失敗する。
目覚めたヒグマに襲われて男は死亡した。
事件はここで終わらなかった。
不条理に冬眠から目覚めさせられてしまったヒグマ。起きてしまった以上は食べなくてはならない。
だが真冬の山に食べ物があるはずもなく、ヒグマは山をおりて市街へと向かった。これが悲劇のはじまりだった。
空腹のヒグマが市街を駆け巡る
17日、札幌警察署で駆除隊が急遽編成された。
同日、豊平川向こうに当たる平岸村でヒグマを発見。ヒグマは月寒村、白石村へと逃亡し、そして再度もとの豊平川を渡る。雁来のあたりで駆除隊は猛吹雪でヒグマを見失ってしまった。
この辺りは現代でこそ住宅街だが、当時は開墾中の森林。ヒグマは森に消えた…。
森の中には開拓民の村が…
さて、その森の中には村があった。開拓民たちの村。家というのもはばかられる掘っ立て小屋がいくつも連なり、そこで本州から移植してきた者たちが生活していた。
堺倉吉もそのひとり。妻のリツとともに、凍えるような寒さに耐えながら、炭を焼いて札幌区に売り出す生活を送っていた。
生活は苦しかったが、それでもふたりの間には待望の長男・留吉が生まれて小さな幸せに満ちていた。
ヒグマの襲撃
17日、深夜。
昼間、駆除隊に追われて市街を逃げ回ったヒグマがこの村にたどりついた。そして堺の小屋を襲った。
まず異変を感知しておきだした倉吉が外の様子をうかがったところでヒグマの一撃を受けて昏倒。
リツは子供を抱いて逃げ出したが、後頭部にヒグマの爪を受けて子供を取り落としてしまう。頭皮をはぎとられながらも他の家に助けを求める。その間に子供はヒグマの餌食になってしまう。
堺倉吉と留吉が食い殺されるのをただ見ているしかなかった。
18日昼。
付近をうろついていたヒグマを駆除隊が見つけ、射殺した。
事件のまとめ
以上が札幌丘珠事件の全容になります。
この144年後の丘珠でまたもやヒグマによる事件が起きてしまいます。
日本では熊による凄惨な獣害事件が多く起きています。クマの動物研究では記事を多数あつかっておりますのでどうぞご覧ください。
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com
cumacuma-cuma.com